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No.66 腰巻かぶりッ!

 五十年ほど前の話。母が、晩飯の用意もなく、遅く帰宅した嫁に腹を立て「今までいったい何をしていた」と責めていた。そこへ私が帰宅。保育士の彼女はその日、園で臨時の職員会議があったという。母は紡績会社の二交代勤務の半日を田圃仕事に宛てるという働きで息子二人を育てあげた人。私は妻をかばった。わざと遅くなったのじゃない、そんなことで怒らないでー真っ暗になるまで田圃で働いてきた母は、そんな息子の方へ振り向きざま「腰巻かぶりッ」と罵った。嫁の尻に敷かれて!と理解して私は立ちすくんだ。今となって思う。あの罵声はそれ以上の意味があった。夫を亡くして二十数年、ひとり奮闘してきた母の、伴侶と心を一つにできる者たちへの、血を吐くような怨みの表明でなかったか。

 一つ家に暮らす人たちに生まれる桎梏は、自分の苦闘にくらべ、お前のは軽い、という不平等感が多い。犠牲は平等か、それを嗅ぎ取る感性は歴史的なものである。與那覇潤氏は、佐藤忠男『草の根の軍国主義』を評していう。

 「投降することを恥じて多くの日本人が自殺を選んだのは、東条英機と戦陣訓のせいなのか。同書の答えは否だ。この国には平時からある〈不幸は平等に耐えるべきだ〉とする道徳観こそ、真の主犯だという」(『歴史なき時代』より)

 戦いを経て生き残る、それは死んだ者に対して不公平という感性は、「忠臣蔵」の早野勘平が切腹せざるを得ないように江戸期に育まれていた、捕虜ならなおのこと、我が家族が周りからその責めを負わされると分かっていたから兵士は自殺を選んだ、佐藤氏はそう書いている。

 ウクライナ戦争が始まった時、日本に侵略があったら降服を選ぶと当欄で書いた。戦わないのではない、「降参して耐えていくことはもっと大きな戦い」ー敵の支配下において不服従のマジョリティを組織していくつもりだが…。

 母は老いて認知症になり、耐え忍んだ妻のことは、名前を忘れて「大事な人」と呼んだ。妻がそれで報いられるわけではないが、そう呼ぶことで支え合った同志として認め「幸福の平等」を一瞬でも実現しようとした、と思われた。