No.64 何かに向かう途中を生きて
当たり前だが、人々はどんな瞬間も。何かに向かう途中を生きている――感銘を刻む映画であった。女性監督ケリー・ライカートの『ウェンディ&ルーシー』、リーマン・ショックの二〇〇八年作。
家を失くしてスマホも持てない若い女性ウェンディが、犬のルーシーを伴侶に職を求め、ぼろい日本車でアラスカに向かう。ある街で車が故障、修理工場に入れるしかないが、所持金は底をついている。スーパーでドッグフードを万引き。捕まって警察へ、なんとかスーパーに戻ると、つないでおいたルーシーがいない、犬探しに保健所へ駆け込んで、と進んで(肝の所は秘)ラストは、飛び乗った貨車の中から、雪降る荒野の流れ去る光景を見つめ、我が身を両手に抱え込んで寒さに耐えるウェンディの遠景ショット。
職探しの大変さは大陸も日本も同じ。私の近所の無職の男性(53)は警察留置所で急死した。彼は長い引きこもり者だったが、父親が死に、一人になって仕方なく職探しを始めた。短期のアルバイトしかなく、村の家に忍び込んで食べ物を盗むようになった。警察に捕まって三か月拘置で帰宅。滞納で水道も電気も停止していたので近所の私はそれを支払い、月に一度、即席ラーメン十個を差し入れてきた。「なん、いいがに」と、ほどこされる苦痛はそう表現された。生活保護は役所が受け付けなかった。多くの日は、自転車で大規模スーパーへ通い、その片隅でワイファイを拾ったスマホゲーム。
一年半たった昨夏、「建造物侵入と窃盗未遂」で再逮捕。食べもの探しであった。三日目、新聞は小さく伝えた―留置所内で急性心筋梗塞、男性が死亡と。主がいなくなった家でしきりに泣く飼い犬は保健所がつれていった。警察は山間で働く兄を探し出し、死亡二日目に遺体焼却。近隣に死に顔も見せなかった。ゴミを始末するような警察の急ぎ方であった。
「原付きバイクがあればなあ」。死ぬ十日前、私に犬の頭を撫でつつポツンと語った彼。何かに彼は向かっていた。一人で彼は向かっていた。私たちも、途上を懸命に生きているが……この国で殺されない権利は誰にも本当に平等か。人の命の守られ方に差はないか。(勝山)