No.62 土地人民、請け取り申すべく候
右の見出しは一八七二(明治五)年三月、廃藩置県で「新川県」開庁先となる魚津出張所へ出された達しの一節。この三年前の版籍奉還でいったん天皇に返された版図と戸籍を、十五日の正午、少し区画を整理した府県として改めて与える、その儀式をやるというのだ。
初めてこの文言を見たとき「えっ」と声が出た。天皇はこんなストレートな言葉で臣下に統治の仕事を命じるのか、という驚き。人民は品物のようではないか。素朴な強い感慨であった。
式場は魚津町にある加賀藩の郡役所。居並ぶ役人と区長に置県の宣告と「四民心得」が演説されたという。一同は「お礼」を申し上げ、カワラケ(土器)にて酒を戴くとある。天皇に対して礼があり、人民の方には挨拶なし。旧十村役や村役・町役から選ばれた「区長」たちは、人民代表ではなく、土地人民を請け取る側として並ぶ。ここはあくまで天皇と官僚のやり取り儀式なのである。
領地領民の引き渡しをもって継げば武家政権が連続してしまうように思うけれど、昭和天皇の「朕は」「帝国憲法第七十三条により」云々の文言をもって現憲法が発布されたのと同様、パラダイム転換の境目はそうなるものなのかしれない。
「人民」が政権からまともな挨拶を受けるようになったのは、やはり現憲法になってからか。歴史家の與那覇潤氏は「班田収授はベーシック・インカム(基本所得の給付)と見ることができないか」と古代の律令期には挨拶があったと示唆したことがある。その土地は今や全ての人々の共有財となったが、人民の方は依然として官僚の手の中にあるようだ。
コロナ対策として都市封鎖の自粛要望や、ベーシック・インカムの実際もかくあらんという全国民一律十万円の特別給付など、人民の生死をつかさどるパフォーマンスのほとんどが官僚のものであることを痛感する日々である。彼らへの「お礼」の声が大きくないのは、人民の公僕たる官僚が、実は昔と変わらぬ権力者であると分かっているから。(勝山)