No.61 江戸期のロックダウン「津止め」
新型コロナ対策で、日本でも具現した都市封鎖。「外出自粛要請」に基づく、警官の監視のない近似的なものだが、筆者も二か月に及ぶ巣ごもり。江戸期の港町で始まった津止めという米価高騰を抑える都市封鎖(筆者の研究テーマ)がどれくらい辛いものか、身をもって知った。
米価が高騰し始めると、港の町民たちは米の移出のせいだとして船を止めようとする。暴動を恐れる町役人は米の持ち出しを一俵も許さない「津止め」を提案。船荷の揚げ下ろしを稼ぎとする人たちの補償をどうする、出航を止めた船の乗組員の食糧をどうする、沖合に置く監視の船、陸路に置く監視人の手当てをどうする、極貧者の支援はどうするか。町内ごとに寄合い、貧民グループとも談合して極貧者リストを作成するなど、議論と作業を重ねる。それは時に一週間にも及ぶ、熟議というにふさわしい民主的な手続きと見える。結果はたいてい、一定期間の津止め後、移出米の一部を港に置いていけば出航を許す「置き米」というシステムの発動となる。船ごとに移出米の数%を拠出させ、そこから諸費用を差し引き、残り全部、町役人たちは町民だけが買える安売り米の原資と定める。町役人や男性ばかりでなく、女性たちまで港町全員が自分の小さな役割を負って生き生きと連帯していく様子。津止め期間や置き米率は早くにおおまかな予測値が必要で、全体を見通せるリーダーなしにできぬ仕法。武士たちは米価高騰への対策を何一つ持たないから、津止めを追認、支配者として無力をさらすほかなかった。
ひるがえって現代のコロナ世界、私たちが引き受けたのは、ただ巣ごもりの役割。三密を守ればあまり暮らしを変えずにいけた筆者だが、暮らしが立たなくなった多くの人たちを眼前にして。うろたえる権力者を責めるしかなかった。無力をさらけ出したのは我が身でもあった。
互いを忖度してマスクをかけ巣ごもりして耐えた、あのヒリヒリと痛みを伴う連帯の味を、牛のように懐かしく反芻する日はいつか来るだろうか。(勝山)