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No.57 静かに難じるような母の眼

お盆、父母の眠る墓に参った。手を合わせ瞑目して今年はいつもと違う母の顔、逝(い)く前日に見たあの顔が浮かんだ。

認知症を病んで施設に入り、末期は治療室に移った母。翌日に逝くと知らず「母さん」と、私は真上から正対して顔を覗き込んだ。母の見開いた眼は澄み、意識が戻ったようにまっすぐで嬉しかった。見つめ合うことしばし、やがて私は小さく身震いすることになった。覗き込む者の眼底を瞬きもせず見透かしきて、静かに難じるような黒い瞳。あなたの息子だよ、そうささやいても、眼の容赦のなさは変わらなかった。血のつながりなど生命活動を鼓舞するに何の力も有さない事実を認め、「またね」と別れくるしかなかった。

5歳の時の義祖父の死のほか、私は父・祖母・母とその死に目にあっていない。命を吹き込んで、人生をいっしょに歩んでくれた人たちが逝く時、よそを見ていたなんて…。

人が息絶えんとする時、通りすがりの人さえ立ち止り、傍に居ようとするものという。一人で逝かせないという衝動が人には埋め込まれてあるのだろうか。遠い国の自爆テロに巻きこまれた死者に胸を突かれ、小児の死というだけで、ちいさな胸がつぶれそうになるのはそのせいだろうか。そうなら全ての人の死に、私は胸を差し出すことになるだろう。この世に居合わせたというそれだけで、他人の死にそんなにも胸を差し出すというのは、まわりまわって他人の命は自分の命という確信を埋め込んでいるからか。

逝く前日の、認知症とは思われぬあの母の眼は、ではなぜ私を他人のように見たのか。お前は誰? 何をしている? 容赦のない問いが私を追い詰めたのだが、この他人性こそが他人とつながる最初の起動力になっているのだとしたら…?

老人の自殺が17年間ゼロという徳島の旧海部町では「立ち話程度」「あいさつ程度」の付き合いが八割を占めるという。生きやすさは、人々の強い絆からではなく、ゆるい結びつきをずっと保持していく慎みから生まれるとみえる。他人性を意識していく生き方があっていい、どんな肯定にも否定がひそみ、どんな否定も肯定をはらむことが見えてくる―母の眼はそう告げたかったのかしれぬ。(勝山)