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No.56 「沖の殿様」というクジラ

 明治12年(1879)の「水産物取調(石川県)」は、江戸期を映す貴重な史料。そこに金沢城下町外港・金石の鯨の方言が「沖の殿様」と記されている。
 4年後の水産博覧会記録がこの語について「鯨の群集する時は恐怖し、甚だしきは合掌してその害を免れんことを祈る」と説明している。鯨には数頭でイワシ群などをとりまき巨大群塊にしたうえ効率よく呑食する習性を持つ類があり、《その害》はイワシの食べ尽くしを指すのだろう。一方で、鯨はイワシ群を沿岸に追い込んでくれるとも理解されるようだから、暮らしの保障をしてくれる殿様という気配も感じられる。
 鯨に対する恐怖と謝恩の入り混じる感情は、陸の殿様へのそれとおそらく同じであろう。新刊『政隣記』の安永9年(1780)に示唆する事例がある。江戸本郷の加賀藩邸に六月廿三日の夕、若い女が走り込んだ。捕らえてみると、五キロほど北の千住の遊郭を逃げ出た娘。伊勢参りの帰り、欺かれて遊女に売られたといい、藩邸の足軽がたまたま遊女の親戚で、越中の富豪町人の娘であると分かった。追手のかかる娘は我が藩の邸と知っても、門前では強い畏怖を覚えてすくんだことであろう。それを押しのけ走り込ませたものは、殿様への「恩頼」とでも表すほかない感情と推察される。
 畏怖と恩頼―人が他者に対し育む様々な感情は多くここに収斂する、敬いはこの二つを純化統合した高貴な感情―。明治12年「流行漢語見立」が《自主の権》などとともに「公」の一語をあげ、「人をうやまうこと」という辞書にない説明をするのは、この理路によるのであろう。生きとし生ける万物に畏怖と恩頼を感じてきた古来の心映え受け継ぐものだろうと思う。
 しかし浅瀬に座礁する鯨を揚げても、獲りに出ることはなかった加賀藩沿海が、明治7年、8年ころから沖に出るようになる。鯨が殿様でなくなり他者でなくなっていく…(仮題『北陸の鯨』近刊)。
 走り込んだ娘は、故郷に無事帰れたろう。生き続けて、人を恐れながら、それでも愛したのではあるまいか。(勝山)