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No.54 江戸期「風盆」の語を見つけて

今春、古文書に「風盆」の語を見つけた。おわら風の盆は元禄十五(一七〇二)年に始まったと『八尾町史』が文書を示さずに記すので、証を探していた。文書は寛政十二(一八〇〇)年「奉公人仕方帳」。農家に奉公する人の給金や労働時間を村々へ通達する書。習俗をもとに月ごとの休日も決めていて、「風盆」は九月の遊び日として記されている。他史料を踏まえれば、町を練り回る趣旨は二百十日にちなむ豊作祝いと判断していいだろう。
ほかに作業上の休みが年間十日、実家に帰れる日が毎月一日、合計すれば五十五日にもなる。食事について「かれこれ申し立てる」奉公人がいるが、「魚類」など一か月二三度にしろとか、昼寝は七月十二日までに限るとか、わざわざ断っていて、雇い主が奉公人に譲歩している現実が明らか。農家でなく町家奉公を望む男女が年ごとに増加、人手不足に悩む村々が労働条件を多方面で改善していると思われる。
前年に「作物虫送り風祭などと名付け」芝居見世物を催すことを禁じる幕府令が出ていて、ニワカや浄瑠璃・俗謡をもって町を練りまわる風盆を「奉公人仕法帳」で公認することは禁令に触れかねないのだが、加賀藩や富山藩でそれは背に腹は代えられない認可であったと推測される。
町へ出たい若者が増えるのは、遊郭など悪場所にひかれるのもあろうが、歌舞伎芝居を本流とする浄瑠璃、笑いを基調とするニワカや俗謡、これらを本格的に遊芸の対象とし、人前で披露できるよう錬磨していく町衆文化の香りに誘われるのもあろう。
元禄期、練り回りは「面白く」をテーマに始まったという。己も楽しんでいいが、少しでも他人様を楽しませるように―それが優先された。人間の生存をできうるかぎり気持ちの良いものにしようとする深い情愛、他人本位ともいうべき生き方が育まれているのが見える。八尾町衆が三味線を習うのは金で買えないものがこの世にはあると確かめるために違いない。(勝山)