No.49 大事なのは言葉なんかじゃない
大津波の引いた一望の荒野をテレビ画面に見つめたあと、ゆくりなく浮かんで胸に結ばれたのが見出しの語。
「この世で大事なのは言葉なんかじゃない。その言葉をいわせるものよ。太陽の光り、土のにおい、風の音、すばらしいわ」と続く、スタインベック原作「きまりきった日々」という映画の女主人公の台詞。
津波被災の画面は見ても見ても合点がいかなかった。しかし、この台詞を思い起こしてようやく得心できた。大事なのは大地なんだ、言葉じゃない。言葉は二番目なのだということを生まれてはじめて意識した。
3・11から四ヶ月、福島原発事故の収束はまだである。原子力安全委員長の斑目氏は、地元にあれほど「原発は安全だ」と説明していたので、さらなる対策を加えると、かえって不安が増大するかもしれないという独特の論理に陥っていたと語る。電力会社や安全委員たちが安全とか安心とかいう「言葉」に囚われていた様子が窺える。
先の映画は一九七六年四月、NHKで放映されたもの。広大な農地に生きる男の、たまたま訪れた旅の女との恋と別れを描いていた。メモ帳によると台詞は妻を亡くした男の心を解き放つように女が言ったもので続けて「生と死が分けられるなんて思ってるの。死んだ人は地下にも空にもいないわ」とある。心の中にいる、おそらくそう言ったと思う。津波で亡くなった身内をいつまでもどこかに見ようとする家族の人たちの姿と重なってくる。
見えないものを見ようとする強い意志。朝日新聞「論潮」で高橋源一郎は「専門家が見つけたものにはそれを『見よう』という強い意志を持つ、ぼくたちのような素人が必要なのだ」と書いた。見えているのに言葉に囚われると見ないようになる。専門家たちはなぜ事実ではなく、言葉を一番目にし続けたのか。言葉をあつかってつい専門家のように思い込みがちな私にも、深々と突き刺さる問いだ。
(2011年8月1日 勝山敏一)