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No.48 施しはいらない、安米が欲しいだけ

米騒動に関する本を2冊出す。大正7年(1918)富山県米騒動の最初期を多数の聞き書きで再構成する『水橋町の米騒動』(井本 三夫)と、富山・新潟を江戸期まで遡る拙者『女一揆の誕生』。2冊とも、値が高騰して米が買えなくなった貧民たちの声を再録するが、彼女らの声は時代を超え、地域を越えて(海を越えて)も同じ。見出しのような内容である。施しはいらないというのは、おそらく人々の面前で多数が声を揃えるためであろう。飢えがそこまできている人でさえ、見栄というか、やせ我慢をしてしまう─こういっても、伝統ある米騒動の人々は否定されないだろう。
女一揆を育んだのは港町。彼女らの言い分に磨き抜かれた知恵が込められているのを紹介しよう。米価が高騰しているとき港から米を出せばもっと高くなる、米移出はやめてくれと女性たちは騒ぐのだが、船主から積込みの数%を置いていくから移出させてくれと頼まれ、受け入れに至る。とても微妙かつ重要な点だが、女性たちは米価の行方が心配で騒ぐのであって、置き米をせがんで騒ぐのではない。
置き米はそのまま皆で分配するのでなく米の安売りにつなげられる。仕入れと安売りとの差損に置き米を充当する、これは施しではないと彼女らはいう。マジックのような理屈であるが、たしかに施米ではなく感じられる。天明3年(1783)新潟県の寺泊町にすでにあった言い分である。彼女らにただ上げるといっても拒否されるから、受け取っても施しにならないといえる理屈がどうしても船主らに必要だった。安売り米との差損につなげるというのは離れ業のようなアイデア。安値に戻せという女性たちの思いとどこかで溶け合い、長い時間をかけて結晶したものだろう。安売りに込められた心意をたどってまだ不明部も多いが、女一揆史に置き米という筋金の通っていることが確かめられたようである。
(2010年10月1日 勝山敏一)