No.46 「今夜は男の一揆が起こる」
大正七年(一九一八)八月七日の高岡新報は、富山県水橋町で起きた女一揆を受け、隣の滑川町でも昨夕八時ごろ「老若男女」二千名の大集団が米屋の前に集結し「生活難を絶叫」したと伝えた。全国に米騒動の起きるきっかけになったといわれる歴史的な大記事だが、「今夜は男の一揆が起こる」という噂から書き始めている。新聞が水橋町の騒動を女一揆と表現したことへの反応だろう。男の、もっと凶暴な一揆になる―民衆はそう見越している。
では、米騒動はなぜ女一揆として始まるのか。富山から飛び火して名古屋では五日後に起こるが、女は顔を見せず男の一揆に終始している。女一揆には地域性があるのではないか―。
多くの女一揆は北前船の立ち寄る日本海側の港、米を船積みする港町で起きている。管見で史料の最古は安政五年(一八五八)に金沢宮腰港の銭屋五兵衛宅を襲ったものだ。
それより先の天明七年(一七八七)寺泊町の史料が驚くべきことを教えてくれる。米価暴騰のとき、米を移出したい船主が、移出されたくない細民たちと町役人を通じて話し合い、米穀の何%かを細民救済に置いていくという仕法が広域の港でいっせいに発動される。損失を米値に転嫁でき、国境を越えていく者から徴するというのはアイデアである。移出を止めるべく騒げば施米にありつけるという経験をつんで、やがて女が騒ぎの主役に躍り出る。一揆は男なら重罪だが、女なら軽い、そういう見込みをもって恐らく女一揆は始まった。今さら女性も主体者と認めるわけにはいかず、藩主のショックは大きかっただろう。かくして日本海側の各港で仕法と女一揆はセットになっていく―私の仮説。
三年前、フランスが提案した「国際連帯税」は空港の旅客に課税してアフリカのエイズ対策などにあてるもの。先の仕法と骨組が酷似することに、どう言葉を継げばいいか…。 (2009年4月1日 勝山敏一)