No.41 古い時代にも美しい範型があった。
『とやま元祖しらべ』 は明治・大正期の3つの新聞連載を集めたものだが、 《侠客》が出てくる。 自転車やパン屋のような事物の起源を尋ねる連載に、 侠客がなぜ取り上げられるのか。
明治44年 (1911) 高岡新報が取材したのは万延元年生まれの山田藤二郎。 「えらく出る奴は片端から殴り倒して爪の垢ほども勝手な熱は吐かせ」 ず、 「侠客仲間では全国に名を響かせ」 と記す。 高岡には幕末に有名な 「大長」 という親分がいた。 その跡目を継いだ饅頭屋が死んだのが明治30年で、 この山田屋が 「博徒の親分」 となったのがその頃というから、 彼はさらに跡目を継いだ親分というに過ぎない。 それなのに元祖とするのは 「(親分となった後は) 種々なる混雑も殺伐なことも演ぜずに鎮撫される。 その成身 (ひとな) りを慕うてわざわざ他国から子分の盃をもらいに来る」 侠客というに恥じぬ人物となったからということらしい。 今は静かに余生を暮らしていると記事は伝える。 江戸期からの 男だてという生き方が、 明治の人々にも尊敬されているのが分かる。 それが消えて行くのを惜しんでいる、 私はこの記事が好きだ。
強きを挫き弱きを助けるという侠客の人なりは、 庶民が支配者に求めるものだ。 最新の本によれば、 江戸期の武士という存在はたしかにそんな倫理を体現していたようだ。 驚いた。 武士や侠客のことを権力や暴力を振り回す存在としか見ていなかったが、 それは一側面に過ぎないのであった。
例の9・11前まで、 私は世の中は少しずつ良くなっていくものと思っていた。 だが、 その後、 戦争は次々と起きた。 進歩史観を盲信する自分に気付いた。 江戸期にも良い生き方があった、 いや、 古い時代にこそ美しい範型があった、 そう認められて、 ようやく歴史は相対化できるのだろう。 (2005年10月1日 勝山敏一)