No.37 130年も続く 「盤持ち」 と私
「俵も、 私らで編むがです」
私はテレビ画面に釘付けになった。 私の村の公民館からの生中継だった。 同級生が《盤持ち》に使う米俵を編んで見せていた。 11月22日、 新嘗祭の前夜に行なう江戸期からの村の行事。 15歳になると初参加し五斗入り (七十キロ) を肩まで持ち上げたら大人と認められる。 最高記録は昭和5年のある青年の一石一斗 (165キロ) と聞く。
私は15になっても青年団に入らなかった。 旧態依然とした村の一員になるのが死ぬほど嫌だった。 同級生たちがイヤとも言わず獅子舞などに参加していくのを不思議に思った。 ただ一人いた友と迫る60年安保改正について議論したりして盤持ちには出なかった。 政治とか孤独とか、 漆の木に触れて赤く腫れるように、 私は何かにカブれていた。
「では、 持ち上げてもらいましょう」
促されて同級生が米俵に向かった。 私は農家の倅なので、 米を詰めた俵を縄で締め上げ、 きっちり結束するのさえ力と技の要ることを知っている。 彼は米俵を縦に抱え込み、 まず膝まで上げて、 やがて腰を切って肩まで差し上げた。 還暦を過ぎた者と思えない見事な捌きだった。
130年も我が村の盤持ちは続いている。 私の息子もちゃんと五斗俵を差している。 私のような不参加はごく稀だった。 参加しない私を村人が詰ったという記憶はない。 村という共同体は根源的な個人の拒否権は認めていたということなのだろうか。 それとも、 昭和33年の当時、 すでに村のタガが緩んでいたのだろうか。 個人主義と共同体主義は案外、 対立するものではなく、 補完しあうものなのかしれない。 (2003年12月25日 勝山敏一)