No.34 9・11、臨界を超えたのはいったい誰?
「弧を描きながらビルに突っ込んでいく飛行機の姿は美しかった…」
9・11のあの光景をテレビで見た美術家たちの感慨である。
「乗客たちがいるのに、 なんで!」
僕が反論すると彼らはちょっと怯んだけど、 自分に正直なようだった。 半世紀前、 特攻隊員だった美術家さえ頷いていた。 あの時、 縛りつけられたように動けないでいた僕の心。 《美的感動》は微塵もなかった。 次の日、 ほかの友人にも尋ねてみた。
「うん、 美しいよ。 だからこそテレビはあの映像を繰り返したんだ」
僕は自分の感性を疑うしかなかった。 虐殺飛行と認めつつなおそこに美を感じてしまう、 それほどまでに人間は複雑な存在か…。 今年になって、 思想家ボードリアールの言葉に接した。 テロ二年前の思弁である。
《すべての世界が目に見えるものや記号に置き換えられ、 メディアは表現されることを望まないものまで力づくで表現しようとする…現代人は臨界点を超えてしまった》
臨界を超えた世界では善が悪に反転しかねないと彼はいう。 目に見えないものを明るみに出す、 それが善であると信じて僕は本屋をやってきた。 その善が悪に反転する?
テロリストたちの飛行機がビルに向かった時、 僕の心が凍りつき、 世界がシンと静まり返ったのは、 反転の一瞬だったからなのだろうか。 その時、 僕の本屋という仕事の意味も反転したのだろうか。 美術家の心が凍りつかなかったのは、 美という善は反転しないと予感したからだろうか。 臨界を超えたのはいったい誰?
ペンを置き、 事務所を出れば、 暗い夜道。 こんなにも世界はまだ闇に包まれているが……。 (2002年2月20日 勝山敏一)