No.33 もっと多くの《目前》は見えないか…
「あっ、 カルガモの親子!」
桂書房の前の道をゾロゾロ、 七羽のヒナを連れて隣家の庭へ。 そして塀の下の排水路へと落ちた。 彼らの池からは五百メートル、 しかも込み入った住宅地の中。 自力で帰れると思えないし、 辺りは野良猫が多い。
県の自然保護課に電話した。 その近くに鳥獣保護員が住んでいるからそこへ行ってもらうという。 ヒナたちは排水路から飛び上がれず、 親だけが上からクゥークゥー鳴きながらヒナたちに上がるよう促している。
ヒナに手を差しのべて外へ出してやることはできるけれど、 親カモが逃げてしまうのではないかと気がかりで、 ただオロオロと見守るだけ。 鳥獣保護員はなかなか来ない。
カモたちを見つめながら、 ふと思った。 世界中にはこの瞬間にも餓死している人がいよう。 暴力や差別に遭って苦しんでいる人たちが支援を待っていよう。 それなのに、 僕はカモにかまけていていいのだろうか?
やがて宵闇が迫り、 僕は帰るしかなかった。 翌朝、 かけつけて見ると、 ヒナは一羽しかいない。 隣家の女性に聞くと朝早くカラスが鳴きわめいていたという。 やっと来てくれた鳥獣保護員も、 「ほっておきましょう…カラスに襲われるのも自然なのですから」 と言って帰っていった。
排水路から出たヒナと親は、 そこから動こうとしなかった。 このようにして不幸はその形を整える…つらかった。 世界で戦争があっても僕は目前のカルガモの心配ができるだろうか。 少し前へ歩み出て、 眼をカッと開いてみる。 もっと多くの[目前]が見えないか……カモの親子はいずれ死ぬ、 そして僕は彼らのことを忘れるのだろうか。 (2001年7月25日 勝山敏一)