No.27 真っすぐな視線の力
正座を長く続けられなくなった。 大切な儀式の途中、 誰もが正座を続けているのに私だけがゴソゴソと胡座になる。
突然死された新田二郎氏の通夜の席。 氏は 『幕末維新期の青春像』 の著者の一人。 亡くなる前日に出来たてのその新刊に目を通された。 柩に新刊が添えてあった。 膝を崩しながら、 新田氏の叱責を聞いていた。 「おーい、 勝山よ。 あれもこれもやり残してきたよ。 シャンとしてくれよ」
一週間前に私は母の葬儀を行っていた。 そうだ、 この正座があの時は欠けてた…。 椅子席だったから。 10年前にアルツハイマー性痴呆症になり、 しだいに自己の輪郭を不確かにしてきた母。 父の方は33歳で死んだ。 故あっての入水だった。 母とダム湖に走った八歳の私は、 浮いている白い体を真っすぐに見たことを覚えている。
母の葬儀で私は父の自死にも触れて挨拶し、 親戚から叱責を受けた。 お前がどんな風に悲しむかはお前の権利だが、 人前で何を憚るべきかは考えてもらわねば…。 驚いたことに、 父の自死について語ることは私にとっては快楽であった。 正座を崩すこともそう言えば快楽である。 タブーというものの正体はこれであろうか…。
今、 編集中の 『瞽女の記憶』 は胡弓を弾きながら唄芸をする盲目の女性の記録だが、 ある人のこんな証言がある。 昭和初期、 門付けに家へ来た芸人に対して、 その人の祖父は仕事を止め正座して唄芸を聞いたが、 父は《お断り!》と怒鳴ったという。 育った時代の違いなのであろう。 祖父の眼には写っていたシャーマニックなものへの畏敬。 芸人はいまでもシャーマニックなのだが祖父の 「正座」 は今はもうないのである。
この数年は視線をウロウロとさ迷わせてばかりいた母が、 末期の前日には見舞った私をハタと見つめた。 あれは何? それこそウロウロとここまで生きて、 出版業を始めたことさえ家族に隠した私を、 虫ピンで止めるような強い視線だった…。
長い時を隔てて記憶に残るものというのは、 真っすぐに見つめたもの、 真っすぐに見つめられたことに限られていくのか。 小社の 『記憶』 シリーズは、 その人々の大河に似た人生の、 川床に留まる小石のような記憶を紡ぐものとなるであろう。
新田氏の書斎を先日お尋ねした。 堆い資料の本当に手近に小社の依頼原稿は残されていた。《真っすぐに見ろよ》という氏の声が聞こえるようであった。 (1998年6月10日 勝山敏一)