No.21 「出版という営み」 は悲しい近代の…
2月の東京、 冬の幕張で 「地方・小出版流通センター」 の20周年パーティーがあり、 私も祝賀に駆けつけた。 地方の本を全国の読者へ書店通しの流通を可能にしてくれた流通センター。 小さい出版社に大きな夢を抱かせてくれた功績は計り知れない。 北海道から沖縄まで、 駆けつけた出版社は150社。 創業の功を担った川上賢一社長はじめ社員の方々に、 心から感謝と祝賀の意を表したい。
「20年前には《地方》とか《小さい》とかいうのは《近代》に最も反する価値だった。 しかし、 その反近代に挑戦して成功をおさめた訳が、 川上社長の徹底した《合理》という近代精神にあったことは啓示的だ」 ―マドラ出版の天野祐吉氏の祝辞が印象深かった。
パーティの前の吉本隆明氏の 「知の流通」 という記念講演も《近代》に関連していた。 氏は34年前から 「試行」 という同人誌を刊行し続けている― 「発刊前に谷川雁と村上一郎の3人で同人誌の原則を立てた。 第一に無報酬のこの同人誌に各自の最も力をいれた論考を発表すること。 第二に出版社に頼らずに直接購読者を相手に刊行を続けること。 この二つの原則は資本主義と対立するものだが、 私たちは頑固にこれを守り通してきた。 《非合理》も挑戦するに値する一つの普遍価値だからだ。 皆さんも挑戦されているように」 「所得の半分を消費に回すという高度資本主義時代にある日本は、 言ってみれば所得が半分になっても生活はできるということ。 私らの同人誌も赤字ではあるが、 資本主義のしくみですぐには破産しない。 皆さんは本の定価をいまだに積算方式で決定されていると思うが、 消費者の主導がはっきりした高度資本主義の時代に不適当だ。 これくらいの本ならこれくらいの値段でないと読者は納得しないだろうな、 というふうに決定しなければ。 たとえ原価を割っていても。 それで一年くらい経営はもつのだし、 そうした出版社だけが何かを手にするだろう」
合理的にしようとしても非合理な結果になってしまう私のような者の応援をなさってるのかな、 と勝手に感激した。 パーティで幾つかの出版社の、 一癖も二癖もある顔と出会えたが、 方言で話しかける人がいてハッと胸を衝かれた。 私は共通語で話していた。 方言に戻そうとしたのだが、 どうしても共通語が交じってくる。 チャンポンがイヤになり、 結局私は共通語で通した。 近代はここにも顔を出しているようだった。
富山に帰ったら 『とりが鳥であったとき』 と名付けた写真集の色校が出ていた。 鳥は自分が鳥であることさえ知らないのに、 全てに魂があり・魂は一つと思いたい (映画 『ベルリン・天使の詩』 より) 人間の、 出版という営みは、 悲しい近代の…。 (1995年3月20日 勝山敏一)