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No.19 新しい尺度を求める 「貧乏物語」

たかだか40年ほど前、 小百姓の倅で母子家庭の小学生だった頃を私はすっかり忘れていた。 『近代下層社会の研究』 のゲラを読んでいて、 あの貧乏の感触を急速に思い出した。 学校のたった10円の集金袋を母に差し出せないことがあった。 私は一計を案じた。 母の財布の100円札を借り、 高岡の町のお菓子問屋へ行った。 駄菓子の行商を思いついたのである。
訳を話すと問屋の親父さんは 「2倍にして売るんだよ」 とチャンと卸してくれた。 大きな風呂敷に背負って、 さて、 どこで売るか。 町で売るのはイヤだった。 いくつか村を通り過ぎ、 隣村まで来てしまった。 もう、 どこでもいい。 思い切って入ったのが来たことのある麹屋さんの家。 奥さんが出て来た。 「お菓子、 いらんです?」 「えッ、 お菓子!…あんた、 隣村のKちゃんやろ。 売り歩いてるの?」 奥さんはびっくり。 お菓子なんて村の駄菓子屋さんへ買いに行くもの。 それを売り歩いてるなんて……買ってやらなきゃ。 奥さんの心の動きが見て取れた。 「5円、 買って上げる…」 嬉しいはずなのに、 ちっとも心が弾まない。 これは施しなのではないか。 次の家に飛び込んだ。 「お菓子…?いらん」 うさんくさそうな顔で追い払われた。 次の家も同じ。 知らない人の家は丸っきり駄目だった。 日が落ちてきた。 私は打ちのめされて帰宅した。 母は驚き怒った。 「100円のアタイが分からんのか!」 少し泣いた後、 残りを問屋に返しに行くよう命じた。 50円しか返してくれない親父さんがニクらしかった。 自分に商いの才覚がないことを思い知らされた。
それでも貧乏がツラいとは思わなかった。 誰もが似ていたし、 乞食や家々を回らざるを得なかった(?)傷痍軍人など、 もっと惨めな人達がいた。 「上を見ればキリがない、 下を見ろ」 母の口癖だったが、 差別が差別を作り出していることにまるで気づかなかった私達。 下層社会は、 つい先頃まで国民全体の8割を占めて深々と重層的だった。
今、 同じ八割の人が中流社会にいると答えるという。 幸福度を階層意識に求める尋ね方もイヤらしいが、 答える方も経済という単一の尺度や差別構造をそのまま、 そっくり底上げして答えてはいないか。
近刊の 『公立美術館と 「天皇」 表現』 では作家たちの多様で個性的な発言があって、 新しい観点や尺度の提示するものが社会に与える豊かな活力を異口同音に指摘している。 旧来の作品買い上げ観では対処できない現代美術、 特別視だけでは見えてこない私たちの国の 「象徴」 の像…。 今年はどれだけ新しい尺度を紹介できるだろうか。 私はといえば、 商いの才覚もないまま出版という場で相変わらずウロウロ…。 『納棺夫日記』 が全国ベストセラーを続けるけど。 (1994年1月20日 勝山敏一)