No.8 たくさんの水が橋の下を…
●長い時間をかけてようやく実現する本が2冊。 一つは 『應響雑記』 (上)。 これはもう小生が出版に関係ない仕事をしていた20年前から誰か出してくれないかと待ちわびていたし、 自分で出版を始めた時も、 すぐその段取りにかかり、 これを出すまでは倒れまい、 頑張ろうといつも自分を激励してきた本である。 だから2年前にその全てを托して編集をお願いしてきた児島清文氏が急死された時は、 茫然自失の態であった。 伏脇紀夫氏が多忙な料亭旅館の経営をなさる身ながら児島氏の跡を引き継いで下さることになった時は、 本当にうれしかった。 この 『應響雑記』 の販売のメドをつけるために 「越中資料集成全十五巻」 の企画を決心し、 全巻予約の募集にのりだすことにもなったのだ。 販売にはまだまだ時間が必要だろうが、 とにかく上巻だけでも上梓にこぎつけたのだ。 力が抜けてしまいそうな我身をもう一度叱咤しなければならない。
●もう一つは 『村と戦争』。 確か、 小社の創業出版となった 『越中中世史の研究』 の著者久保先生からお勧め頂いたのがきっかけで、 出分氏を訪ねたのだ。 日本で希有の徴兵文書の山と、 出分氏の凄まじいまでの生き様に感動した。 ちょうど、 中曽根総理の 「不沈空母」 発言もあって 「戦後総決算」 の意味に疑問を感じ、 これはどうしても出そう、 損得ぬきだ等と興奮したものだ。 出版社を持続させるためには、 それが一番危険な道とわかっていて、 そういうのがないと苦労するかいもないじゃないか、 これが正直な気持だった。 また、 執筆者さがしから座談会記録のまとめまで、 最後イギリス留学直前まで長期間にわたって終始ご協力頂いた小沢浩先生も、 見返りのためにしているのではない。 歴史家なら当然という態度で小生と接しられた。 黒田俊雄先生も大江志乃夫先生も全く同様だった。 本当に意気に感じて、 涙がでた事もある。 あとは、 一人でも多くの方にと思うし、 売れないかもという心配も時には黒雲の広がるように心をふさぐけれど、 本自身のもつ力できっと多くの読者を獲得するに違いないと思っている。
●今年もたくさんの水が橋の下を流れた。 この世に見るべきものは、 いったいどれだけ?(1988年11月20日 勝山敏一)