五十年ほど前の話。母が、晩飯の用意もなく、遅く帰宅した嫁に腹を立て「今までいったい何をしていた」と責めていた。そこへ私が帰宅。保育士の彼女はその日、園で臨時の職員会議があったという。母は紡績会社の二交代勤務の半日を田圃…
私は落涙を禁じ得なかった。加賀金沢に生れ、親と江戸に出て巣鴨に暮らし、十三歳で十五年季の遊女に売られたカメが、年季明け一年前になって朋輩十六人と示し合わせその遊女屋に放火、自首するという嘉永二年(一八四九)一件について…
当たり前だが、人々はどんな瞬間も。何かに向かう途中を生きている――感銘を刻む映画であった。女性監督ケリー・ライカートの『ウェンディ&ルーシー』、リーマン・ショックの二〇〇八年作。 家を失くしてスマホも持てない…
見出しはキエフに住む女性が叫ぶように言った言葉。二月二十五日の朝かその前夜だった。とうとうロシアが三方向から侵攻を開始――そう伝えたテレビが、ウクライナの人々にインタビューしている。四十代に見えるその女性がまっすぐ視聴…
右の見出しは一八七二(明治五)年三月、廃藩置県で「新川県」開庁先となる魚津出張所へ出された達しの一節。この三年前の版籍奉還でいったん天皇に返された版図と戸籍を、十五日の正午、少し区画を整理した府県として改めて与える、そ…