「越中僧・薩摩開教の記憶」を執筆・刊行された飛鳥寛栗(あすか かんりつ)さんは
大正4年生まれで今年百歳。
本を読むと百歳の方が書かれた本とは決して思えません。
実にご立派です。
かくありたいと、ただただ尊敬申し上げる次第です。
飛鳥さんの略歴ですが浄土真宗本願寺派飛鳥山善興寺の前住職。
「棟方志功・越中ものがたり」の著者。
棟方志功とも親交がありました。
なお善興寺は古刹です。
寺の由緒は善興寺ホームページによれば、
「飛鳥朝の欽明天皇13年(552)に仏教は百済より伝えられました。
仏像を天皇より賜った蘇我氏の菩提寺、法興寺の第7世慧乗法師が、
諸国を巡錫するなかで越中国を訪れ、石動山の麓に勝地を選んで一宇を建立したことが始まりとされます。
霊亀2年(716)のことです。
のちに天台宗の勅願所として「飛鳥山善興寺」の号を賜り、石動山の三分一を功徳田としました。」
高岡市中田にお寺があります。
桂書房編集部が足掛け4年かけ、県内に取材した「越中怪談紀行」がようやく出版されました。
この本の凄いところは消えつつあった伝説を
もう一度現代に引き戻したところにあるといえます。
例えば「神通川の川鰈(かわかれい)」は、
かつて神通川に大きな鰈が住み着いていて、
この鰈が反転して白い腹を見せると
船橋を渡っていた旅人が目がくらんで神通川に落ちたという伝説です。
この伝説は地元に今も残っています。
この川鰈は「ヌマカレイ」の別名だそうで、
このカレイは体長が40センチ余りの淡水に住む種とか。
恐らく神通川に大きなヌマカレイが生息していたのではないかと思います。
桂書房では『越中怪談紀行』を編纂しています。
8月に出版予定です。
これに関連して、
富山家中滝川左膳屋敷には「焼き味噌」を禁ずという家訓があったと『越中奇談集』には書いてあります。
この滝川家は戦国武将、滝川一益を先祖に持ち、その一族が前田家に仕官したものと思われます。
富山藩の滝川家は富山城大手に屋敷を構えていました。
なぜ滝川家では焼き味噌がダメなのかというと、滝川家でこれを作ると座敷に怪しい人が出るとの事です。
ところで「焼き味噌」について調べてみると、「湯漬け」つまりご飯に湯をかけて食べるときに薬味として「焼き味噌」を添えていたようです。
この「湯漬け」は、戦国時代、出陣する前に湯漬けを食べたというのが物語にはよく登場します。
織田信長が桶狭間に出陣する際「湯漬け」を食したという話が有名です。