佐伯哲也のお城てくてく物語 第10回
佐伯哲也の お城てくてく物語
第10回 戦国時代の贈答品
今から五百年前の戦国時代、七尾城(石川県)で京風文化を営んでいた能登守護畠山氏は、京都の室町将軍家や公家達と交流を重ね、多額の金品や贈答品を贈っている。その見返りとして、連歌の添削等を依頼した。
贈答品の中に、海国能登ならではの海産物を多く贈っていることが、三条西実隆の日記『実隆公記』に詳細に記録されている。それは現代の中元・歳暮と全く変わらず、非常に興味深いものがある。今一度、畠山氏が贈った海産物の贈答品を見てみよう。
七尾城から京までの道程は約十日間とされており、長期保存ができるものに限定される。従って塩漬けにされたブリ・タラ・シャケ・タイ・ハモが贈られている。シャケは現在も「荒巻シャケ」の名で、歳暮品として扱われている。種類は不明だが、酢で〆た魚も贈られたようである。その中にはサバも交じっており、まさにシメサバとして贈られたのである。
海苔や藻づく・クラゲも贈られ、海苔などは朝食に欠かせない一品だったことであろう。クラゲが戦国期から食べられていたとは驚きである。
特に多く贈られたのは、コノワタ(ナマコの塩辛)・セワタ(シャケの塩辛)・ウルカ(アユの塩辛)といった酒の肴である。現在も高級珍味として重宝されている。実隆はコノワタが大好物だったらしく、年に6回も贈ってもらっている年がある。享禄4年(1532)の時などは、日記に「余酔終日散々」と終日コノワタを肴に酒を飲み続け、泥酔したと書いている。大喜びしながら痛飲している実隆の様子が見えるようである。
この他、アメフラシやスナメリも贈っている。アメフラシはナマコと同じように調理したのであろうか。戦国期の富山湾にイルカがいたことが判明している。スナメリではなく、イルカだったのかもしれない。
海産物ではないが、輪島素麺を贈っている。輪島素麺は現在も地元の名産で、五百年前から名産だったことが判明して面白い。どのように入手したのであろうか、虎皮や天狗爪(サメの歯)やタツノオトシゴまで贈っている。
以上が主な贈答品である。なんのことはない、現代とほぼ同じ贈答品であり、コノワタなどは酒の肴として五百年前から不動の位置にあったのである。戦国期も現代も、ノンベエの好みは変わらないと言えよう。