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吉原人別

カテゴリー:歴史探訪

『加越能文庫』のある書物に江戸時代の享保8年(1723年)江戸町屋の人口調査記録が載っています。

将軍・徳川吉宗の時代、享保の改革が実行され、町政は南町奉行所大岡越前守が主導、目安箱の投書から小石川養生所が設けられ風俗取締りも行われました。

特に「吉原人別」は貴重な記録のように思います。

吉原にはずいぶんたくさん住んでいたのですね。

 

 

江戸町数 1,772町

家の数  88,500余り

人口   1,285,300人

男  581,800余人

女   697,500余人

 

その他

座頭   3,840人

出家   53,130人

山伏     7,230人

神主     3,580人

 

吉原人別 14,500余人

男   8,200余人

女   6,300余人

内遊女 2,500人

 

但し、「天明7年(1787)の記禄と合致しない」という事で本記には採用されず「除外メモ」として残されていました。

明智光秀の塚

カテゴリー:新刊案内 歴史探訪

桂書房では『越中怪談紀行』を編纂中です。

ベースになっているのが大正の頃の「高岡新報」の越中怪談という連載記事。

富山県内の色々な話が纏められています。

その記事の中に富山市辰巳町にあった宥照寺に明智光秀の塚があったと書いてありました。

出典は『越中奇談集』。

光秀の兄が宥照寺住職であったとあります。

光厳寺の東側、鼬川に沿って寺がありました。

今は、寺はありませんが気になりますね。

明治43年富山市街図

明治43年20000分1の地図に寺のあった場所を入れました。

金沢百万石祭り

カテゴリー:金沢

金沢百万石祭りの目玉の一つに加賀鳶梯子登り演技があります。

加賀鳶1

 

加賀鳶2

 

 

金沢市消防団のホームページによれば

「梯子登りは江戸時代、火消しが火災現場で高い梯子を立て、頂上から火事の状況や風向き、建物の状況を確かめたことが始まりで、さらには高所での作業を行うための訓練、度胸、勇気をつけるためにも行われたと言われています。」

とあります。

この加賀鳶は江戸の加賀藩大名火消が由来で「特異な装束と威勢の良さ、見事な火消し活動で名高かった」とあります。

後継者育成のため金沢の子供たちの「金沢子どもはしご登り教室」が開催されています。

私の友人のお子様が梯子登りしている勇ましい写真を拝見したことを思い出しました。

 

金沢百万石祭り

カテゴリー:金沢

前田家は百万石を維持するために実に細心の注意を払っていました。

加賀藩の最優先課題は江戸との関係。

当初120万石あったのですが、寛永16年(1639)富山藩と大聖寺藩に分藩。

そして百万石の富はすべて金沢に集まります。

そして加賀文化が生まれました。

金沢を代表する加賀友禅もその一つです。

加賀百万石祭りパレード

越中婦負郡を中心とした富山藩は石高10万石。

ところが前田利次が率いた家臣団の石高は、合計すると8万石に及びます。

この家臣団ですが、寛文の頃と寛永の頃とは家臣団が少し違っています。

宗藩と入れ替えがあったにせよ、何があったのか?

 

ところで「政隣記」を引用する「加賀藩史料」ですが誤字脱字が多いとされます。

桂書房では原本「政隣記」を読み解き補完した「政隣記」を順次刊行しています。

政隣記01

 

政隣記02

 

砺波民具展示室

カテゴリー:となみ野探検

2015年4月に「砺波民具展示室」が砺波市庄東小学校3階スペースに開館しました。

ここを見学に行きました。

「すご~い」と感嘆の一言です。

砺波民具展示室1

江戸時代から昭和40年頃まで使われていた砺波波地方の民具、約12000点を集めて展示しています。

これだけの展示物は日本でここだけかもしれません。

砺波民具展示室2

越中国砺波郡だけで25万石の石高がありました。

ひたすら米を作る。

その生活が垣間見えます。

ここで新たに発見したものや驚いたものがいくつもあります。

こここそは3世代交流の場で、親から子、孫に語り継ぐ必要があると思いました。

 

◆ご利用案内◆

・所 在 地 〒939-1431

富山県砺波市頼成566番地

庄東小学校3階

 

・開館時間 9時~17時

・休 館 日 毎週月曜日、第3日曜日、祝日、年末年始12/29~1/3

・入 館 料 無料

・連 絡 先 砺波郷土資料館      0763-32-2339

砺波市埋蔵文化財センター 0763-37-1303