桂書房では「大道城主に伝わった能面」について調べています。
高岡市にある称念寺には能面が伝来しています。
この能面は、古くは「修験と山田温泉」に関連するのではないかと仮説を立てています。
その経緯を纏めました。
称念寺の由緒ですが、山号は立鷹山(りょうおうざん)。
浄土真宗本願寺派(元は真言宗)。旧八尾町足谷に寺がありました。
古絵図(県立図書館蔵)には称念寺屋敷が残っています。
立山曼荼羅が伝来し立山信仰と関連が深いとされます。
この能面は江戸時代初期に打たれた面です。
製作 寛文7年(1667)江戸時代(富山藩が出来た頃)
作者 一色左京大夫義春です。
能面はいつの頃か「大道城主」から称念寺が貰ったとされています。
大道城とは旧八尾と旧山田村境にあった中世城郭です。
『婦負郡史』によれば,
「大道城主」との由緒を伝える「鈴木権ノ守」が旧山田村数納(sunou)に在住していました。
数納は現在は廃村となっています。
そして数納には、現在は砺波にある千光寺の故地であるとされます。
『山田村史』によれば、千光寺は戦国時代に砺波の現在地に移転したとされます。
数納の旧中村家の屋号は「寺」でここが「千光寺元屋敷」でした。
詳細は「廃村の記憶」(桂書房刊)を参照下さい。
では、なぜ数納に能面があったのでしょうか?
考えられることは江戸時代の初めまで数納で能が舞われていたのでしょう。
ところで山田温泉は金剛堂山の修験信仰と関連しているとされます。
近くには宿坊という村もあります。
修験者は金剛堂山に登る際、山田の宿坊を出て山田温泉で身を清め、禅定道を金剛堂山に至ったとされます。
この禅定道沿いに数納がありました。
ここからが推論ですが、
伝承から千光寺が数納にあったとして、
金剛堂山信仰と千光寺開祖法道上人の金剛摩尼の法力とは、なんらかの関連があったと思われます。
そして能は千光寺に伝承されてきたものと考えます。
千光寺移転後は大道城主であった鈴木家に伝承されてきたのではないでしょうか。
ご意見を頂きたいと思います。