佐伯哲也のお城てくてく物語 第18回
佐伯哲也の お城てくてく物語
第18回 山城の飲料水確保
飲料水が枯渇すれば落城する、と言われているように山城において飲料水は貴重だった。従って山城には飲料水にまつわる様々な伝承が残る。
一番多い伝承は、恩賞目当てに飲料水の水源を敵軍に密告する老婆の話であろう。松倉城(魚津市)が上杉謙信の猛攻を平然と防いでいるのは、尾根沿いに木樋を用いて城内に飲料水を通水しているからだ、と密告してしまう。謙信は直ちに水源を奪取し、松倉城は落城したと伝わる。
山城は松倉城に限らず峻険な山頂に築かれているケースが多い。当時の未熟な土木技術で、どのようにして多数の谷や沢を越えて城内に引水したのか首をかしげてしまうことが多い。しかし、鎌刃城(滋賀県)のように、五百m上流の沢から現在も引水した引水施設の一部が現存している城郭も存在している。現代の我々の常識をはるかに超越した名人芸を駆使して引水していたのかもしれない。
かつて北陸も寒冷地で、各地に氷室が存在していた。つまり保存方法によっては、真夏も飲料水を氷という手法で貯水することができたのである。松倉城内には、天池と呼ばれる長径24mの巨大な竪穴が残る。ひょっとしたら雪を貯めていた天然の氷室だったのかもしれない。
飲料水施設で最もポピュラーなのが、井戸であろう。山城には井戸跡と称する竪穴が多数残るが、ほとんどは水は溜まっていない。こんな高所で水が湧いていたのであろうか、首をかしげたくなることが多い。しかしかつての地下水位は我々が想像するよりも遥かに高位だったと考えられる。大道城(富山市)は標高が630mもあり、富山県内の山城でも屈指の標高を誇る。城内の井戸跡と称する竪穴に現在は水は溜まっていないが、昭和40年ころまでイモリが棲んでいたと古老たちは伝える。つまり一年中水が溜まっていたと推定されるのである。現在枯渇している井戸もかつては水が溜まっていた可能性は高い。
山城の井戸で、現在も清水がコンコンと湧き出ているのが、長沢城(富山市)である。この井戸は江戸時代から有名で、各書が書き伝える。内側を石で固めていることが要因の一つであろう。逆に山城には特異な存在で、城ではない可能性(寺院等の可能性)も視野に入れる必要性があろう。