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佐伯哲也のお城てくてく物語 第1回

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佐伯哲也の お城てくてく物語

 

お城歩きは本当に楽しい 
 私は約40年間にわたって日本全国の城郭を2000城以上調査してきた。約60才になった現在もお城歩きは非常に楽しく、少年(?)のように目を輝かせ、城跡を飛び回っている。
 このコーナーでは、お城の意外な一面や興味深い新事実を紹介し、お城の魅力を読者の皆様方にお伝えしたいと思う。

 

 

 第1回 お城のトイレはどうなっていた?

 私は教育委員会から城跡の現地説明会を依頼されることがしばしばある。そんな中、とある城の説明会で小学生から、「お城の御姫様はどこでオシッコをしていたのですか。」と質問された。これには全く答えられず、本当にこまった。そして本当にどうしていたのだろう、という興味がムクムクと頭をもたげ、全国各地の事例を調べまくった。
 その結果、「よくわからない」という結論に至った。今日まで全国で恐らく約1万以上の城で発掘調査が実施されてきたが、城、特に中世の山城で、トイレと確認できる遺構が発見されていないのである。それもそうであろう、私が想像するに、山城の場合、穴を掘って周囲を板等で囲っただけの、ポットン便所だったと考えられる。そんなトイレが400年以上経って確認されるはずがないのである。富山県を代表する山城の白鳥城(富山市)や松倉城(魚津市)でも発掘は実施されたが、やはりトイレは確認されなかった。

 興味深いのは、わずかに残された文献史料によって、城主は城兵に汚物を城から一遠矢(約100m)以上離れた城外に捨てるよう命じている白鳥城(富山市)ことである。城内には人の他に馬もいた。毎日排泄される汚物は相当の量だったと考えられる。衛生面もさることながら、ニオイも強烈だったのであろう。従って、100m以上離れた場所に捨てていたのである。
 山城でトイレは確認しにくいが、この傾向は平地の居館にも該当する。城下町の町屋では共同便所は多数確認できるが、何故か居館からはトイレは発見されないケースが多い。つまりお殿様・お姫様はオマルを使用していたと考えられるのである。
 天守閣に住んだ唯一の武将・織田信長も、オマルを使用していたと考えられる。というのも、安土城天守閣にトイレは確認されていないからである。信長がオマルで用足ししている姿を想像すると、ちょっと笑ってしまう。
 現存している城のトイレで有名なのが、姫路城大天守地下のトイレである。金隠しを設けた純和風のトイレで、床下に大甕を設置して汚物を受け取る仕組みとなっている。地下なので真っ暗であり、誤って落っこちてしまうのではないかと心配してしまう。ちなみに使用された「形跡」はないそうである。このトイレ、日本唯一の「国宝のトイレ」である。トイレといえども400年以上経過すると、国宝になるのである。