富山城の本丸御殿
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どうも富山城、本丸御殿の屋根はむくり屋根だったようだ。
むくり屋根とはお椀型の屋根。
ネットで検索すると、
「屋根面が真っ直ぐなものは、直線屋根、反っているものを、そり(てり)屋根、ふくらんだものを、むくり屋根と呼びます。」
とある。
武家の屋敷とは思えない構造。
このむくり屋根は公家文化の流れであるという。
代表的な建築物に桂離宮古書院がある。
では、誰がこのような御殿を建築したのか?
富山城本丸御殿は天保3年(1832)に改築されたとある。
この頃富山藩は財政が火の車だったとある。
累積借財は30万両。百姓一揆も起きている。
しかし嘉永2年(1849年)に前田利保は隠居のため千歳御殿を造営した。
この御殿は能舞台を中心に据えた建物だったのだが本丸御殿と何らかの相関性がないのか?
富山藩を考えると傑出していたのが前田利保。
利保は天保6年に、9代富山藩主、利幹が隠居して家督を継いだ。
風雅な人物で、産物方を設置し藩財政の再建を図るなど活躍した。
また幕府から5万5千両もの供出をもとめられ処々工面し、天保12年の参勤交代を免除してもらうなど外交面でも光るものがある。
士族は極めて貧乏に喘いだが、町人・農民は売薬業で豊かであったように見える。
そのように考えると富山藩の実態を今一つ眺めてみる必要があると思う。