安田善次郎
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富山県は実業家を多く産み出した県だ。
富山市からは安田善次郎という偉大な実業家を産み出した。
善次郎は富山藩下級武士、安田善悦の子としてうまれる。
生まれた所は、富山市愛宕町で現在は安田記念公園となっている。
父親は下級武士、足軽とされているが、富山藩は実に貧乏であった。
例えば七軒町の武士達は神通川の漁で生計を立てていた。
善次郎の父親は畑作者で暮らしていたが、当時そこは鍋屋小路と呼ばれていた。
昔は太夫町とも沼の高とも呼ばれた貧乏人ばかりいた所であった。
善次郎が東京に出た後、その家は他人に渡っていた。
当時の面影は小路の角にある地蔵堂のみだが、当時は東向に格子戸の玄関を構える生家が残っていた。
大正7年頃、この鍋屋小路にでっぷりと太った紳士が夫人を同伴して訪ねてきた。
この界隈は、当時は「労働者街」で袢纏が街に似合っていた。
しかし紳士の身なりは、街の人々には似つかわしくなく人々は奇異の目で見ていた。
老夫婦は懐かしそうに辺りを見回しながらその家の前に立って何かを囁いていたという。
翌日、再び現れた老夫婦は持ち主の家を訪ねた。
価格交渉が始まったが不成立に終わった。
その差額はわずかに100円程。
後に、老夫婦は善次郎夫妻で目的が生家の永久保存であったという。
その経緯が当時の新聞記事となっている。