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過去の記事: 2016.2月

新兵の入営(その2)

カテゴリー:その他

富山城二ノ丸から富山大橋。
かつての新大橋、別称「連隊橋」に向かう通りを当時は兵営道路と呼びました。
連隊橋の手前には茶屋があり、上新川郡長が入営者に寄贈品を渡していました。
神通川に架かるこの橋を渡ると婦負郡です。
今の富山大学は当時の陸軍69連隊の営舎。
人々や旗の列は練兵場を横切って裏門に続いていました。
当時の新兵は北側の表門ではなく、南側の裏門から入営したようです。
兵舎は周囲を土塁で囲んでありました。
添付写真をごらん下さい。
裏門の土塀の上には曹長が立ち、見送り人と新兵をより分けていた。
記事には
「入営者の嫁さんらしいマンテルの下から友仙腰巻を見せた十八九の女が曹長の後から高い土塀に駆け登ろうとする」と緻密な描写。
どうもこの女性は入営者の妻らしい。
そうだよね。
旦那様とはもう二度と会えないかも。

記者が表門に廻るとここでは人々は挨拶を交わし
『兄さまが無事で入営されましておめでとうございます』
『息子は喜んで夕べは一目も寝ませなんだ』
と自慢話が聞こえたとか。陸軍歩兵69連隊

新兵の入営

カテゴリー:その他

今は消えた、かつての富山を探ろうと
古い頃の新聞記事を読んでいます。

この記事は明治末の富山日報の記事。

「昨朝七時富山連隊へ入営の新兵を見送りに行く。
夜来の時雨は晴れたが凩(こがらし)は中々に寒い。
社を出ると富山館方向から、連隊に行く腕社(人力車)が十四五台も続いてきた。
その大部分が壮丁(入営する成年男子)で頭髪をクリクリに刈り込んで何れも落ち付かぬ顔をしている。
その一行の先を縞毛布を着た小さなお爺が紫メレンス二幅の大きな旗を担いで重そうに走っている。
風がしたんで重いに違いない。
旗には東岩瀬町と記してあった。」

(以下略)

凄い! さすが東岩瀬町。

富山館は富山城鉄門前の2ノ丸にあった旅館。
富山69連隊に入営する若者を歓送迎しようと
昨夜は旅館で激励。
そして人力車を連ねたのは
当時の東岩瀬町が北前船で栄えていた証ですね。