越前・北ノ庄城の亡霊・3
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北ノ庄の堀秀政屋敷跡とされるところは、北ノ庄城の足羽川対岸の足羽山山麓、現在の福井市西木田三丁目あたりに旧北陸道に面して築かれ、江戸時代には、堀町、堀小路町という町名となって残っていました。
堀秀政は、天正18年(1590)小田原の陣で没しました。
今も秀政が信仰したという「堀ノ宮」と称された白山神社が木田神社に移転して残っています。
長慶寺には墓もあります。
堀氏は、慶長3年(1598)、越後春日山に転封されるまで、二代13年間にわたって越前を領し足羽山山麓に居館を構えましたが、これは北ノ庄城を修築する間の一時的な屋敷だったのかどうかはよく判りません。
しかし堀秀政が北ノ庄城外に館を構えたことは、北ノ庄城には住まなかったこの証で、これは実に奇妙な事に見えます。