越前・北ノ庄城の亡霊・1
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桂書房では『越中怪談紀行』を編纂中ですが、これには所載しない「北ノ庄城の亡霊」についてシリーズでブロクに掲載していきます。
戦国時代、織田信長の家臣で、猛将として天下にその名を轟かせた柴田勝家が最後に居城したのが越前の北ノ庄城、現在の福井城です。
北ノ庄城は、天正三年(一五七五)、越前を制圧した織田信長が北ノ庄に赴いた際、自ら縄張りした城で、城将として柴田勝家を置きました。
江戸時代の記録『越藩拾遺録』のなかに「北庄城地之事」として、「柴田勝家天正十一年四月廿四日生害アルハ、今ノ鳩之御門南之舛形之所、古ノ天守ノ跡也」とあります。
ここに柴田神社が造営されています。
この神社が建立された理由は「ここに奇怪なことが起こった」ので勝家の霊魂を杉田屋敷内に祭った祠が始まりといわれます。
その奇怪なこととは、
4月24日に夜半勝家の亡霊が、馬に跨り九十九橋を渡って本丸に帰るという。
これを見た者は、この年に死ぬという伝説があり、北ノ庄本丸にあたる杉田屋敷を始め付近一帯の屋敷は夕刻の6時以降は雨戸を閉め、夜間の外出を控えました。