金沢百万石祭り
前田家は百万石を維持するために実に細心の注意を払っていました。
加賀藩の最優先課題は江戸との関係。
当初120万石あったのですが、寛永16年(1639)富山藩と大聖寺藩に分藩。
そして百万石の富はすべて金沢に集まります。
そして加賀文化が生まれました。
金沢を代表する加賀友禅もその一つです。
越中婦負郡を中心とした富山藩は石高10万石。
ところが前田利次が率いた家臣団の石高は、合計すると8万石に及びます。
この家臣団ですが、寛文の頃と寛永の頃とは家臣団が少し違っています。
宗藩と入れ替えがあったにせよ、何があったのか?
ところで「政隣記」を引用する「加賀藩史料」ですが誤字脱字が多いとされます。
桂書房では原本「政隣記」を読み解き補完した「政隣記」を順次刊行しています。